反歴史の名言コーナー

①著者:マーク ・ トウェイン、訳者:土屋京子
『ハックルベリー・フィンの冒険 (上)』
光文社古典新訳文庫、光文社、2014年

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p18:かの『旧約聖書』のスーパースターたる「モーゼ」について、
   一人称小説の主人公の語り

<前略>そのうち、未亡人の話から、そのモーゼってのがずっと昔に

死んじまったやつだってことがわかって、どうでもよくなった。おいら、

死んだ人間なんか興味ねえもん。



 いわば「死んだ人間」は過去に属するもので、もはや他人とは直接

関わりようがないのは、たとえ凡人愚人でも理解できない人はいない

はずです。

もし、主人公「ハックルベリー・フィン」がここで示した価値観を

批判するなら、「反知性主義」のあらわれとも言えましょうし、

また、アメリカ人のいわゆる「未来志向」とも関わりはあるでしょう。

アメリカ文学の原点のごとき扱いをされる小説のあらすじは、

残酷な差別と裏腹の人間関係へ否応なく、主人公が巻き込まれて

いくというもの。

読書など文化的とされる営みによらずとも少年は、勇気と率直な思いで、

見事に立ち向かっていくのです。




②訳者:小林勝人『列子 (下)』岩波文庫、岩波書店、1987年


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p142:書名ともなった人物「列子」とは、別人の思想家「楊朱」の主張を
    紹介した篇から引用

本人が死んでしまったら、いくらたたえられても、ご本人はご存じなく、

いくらほめられても、当のご本人は分かるはずがない。<後略>




 『列子』に収録された、「楊朱」という二千数百年前の思想家が

残したとされる、極めて分かりやすい主張です。

楊朱の生きていた時期に、すでに中国の大地の上で、偉人と

されてきた人物たちへの冷たい感想に、含まれている一節でも

あります。

分かりやすすぎて、平凡な発想と切り捨てるも可ですが、

永遠の真実をも兼ねています。

おのずから限界もわきまえねばなりません。

他人へ責任を負う人間にふさわしくはありません。

しかし、この真実を踏まえてこそ、「楽しむべき人生をあえて

楽しまない」とする人生に、われわれが貴さを認めるという

逆説は成り立つのではないでしょうか?




③『歴史とは何か 岡田英弘著作集①』藤原書店、2013年

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p394
  本当の史実を突き止めることは理論上できない。限りなく真実に

迫っているだろうと思うことはできるが、迫っているという証拠は、

どこにもない。<後略>




 「現在、世界中の研究者が従事している十四世紀~十八世紀の

モンゴル史研究は、どのテーマも岡田が始めたものであると言っても

過言ではない」とされる「モンゴル学」の世界的権威であり(※1)、

「シナ史、モンゴル史、満洲史、日本古代史と幅広く研究し、

全く独自に「世界史」を打ち立てる(※2)」という、壮大かつ独特な

歴史認識を遺された知的巨人の名言であり、「十四ヵ国語(※3)」を

使用する語学の天才としての側面をお持ちの方でした。

惜しくも、2017年5月25日に逝去されました。

当ブログにあって、氏の言説をしばしば批判していても、

ご自身が歴史学者でありながら、実証史学の限界へ

言及された面は率直に評価しています。

たとえば数学の論理的厳密性には、同じく学問に属した

知的な営みであれ、さすがに及ばない一面は

強調されるべきと信じます。


※1 岡田英弘『モンゴル帝国から大清帝国へ』藤原書店、2010年

   所収:宮脇淳子 「解説 岡田英弘の学問」から、pp537-538 

※2 『歴史とは何か 岡田英弘著作集①』藤原書店、2013年、奥付から摘録

※3 『同上』所収:岡田英弘「私の学者人生」から、p383(書き下ろし)



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