反政治の必要性とは

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井波律子『中国の五大小説(下)
――水滸伝・金瓶梅・紅楼夢』岩波新書、2009年

pp249-250
中国の人々は、「紅楼夢を読めば政治がわかる」

と言います。ここでいう「政治」とは、いわば

「関係性」 のことです。『紅楼夢』 の舞台は

ひとつの「家」ですが、家といってもけっして

小さな話ではありません。そのなかには

大人たちの序列から、使用人との関係、

さらに少女たち相互の関わりあい等々、人間関係の

さまざまなありかたが書きこまれており、たんに

家庭内の問題ではなく、むしろ大きな政治の

アナロジー
となっているのです。


 いきなりですが、そもそも政治とは、

いったいなんなのでしょうか?

たとえば、上記のような広すぎる解釈では、

「反政治」がたんなる「世捨て人」「人間嫌い」の

思想を意味するものと化してしまいます。

たとえ「大きな政治のアナロジー」と

なっていようとです。

お断りしておきたいのは、拙文が、

著名な中国文学研究者、井波律子氏の

前作の『中国の五大小説 (上)――

三国志演義・西遊記』ともども、   

お勧めしたい良著の紹介を兼ねている、

という事実です。

特に下巻は、「中国伝統文化の停滞性」という、

日本でも根強く残る思い込みを、口語体

長編小説のジャンルで打ち破ってみせる、

「ホップ、ステップ、ジャンプ!」と

口ずさみたくなる躍動感の心地良さが、

随所に光る著者の創見と並んで、

通読の意欲をそそってくれるものです。

 閑話休題、本題に戻りましょう。

およそ、ほとんどの人間が政治的になれば

なるほど、政治的な嘘をつく誘惑にさらされる

のであり、それはしばしば、政治的な論争などに、

つきまとってきます。

「嘘」というのは、事実を偽るほかにも、

論理的に筋が通らない、いわゆる

「二重基準(ダブル・スタンダード)」を

犯したりする事態です。

頭の良し悪しなど、また左翼とか保守とか、

あるいは他の政治的スタンスとか、ほとんど

関係なく人々に訪れるものであり、

あたら誠実な人物が、政治にまつわる嘘を

吐いて、内なる良心に責められることもない

事態すら、ありえますし、もったいない限りと

思います。

ひとくちに「政治的」と称しても、当人が

その内面まで取り込まれているかどうか、

都合よく利用しているだけなのか否か、

の違いはありえますが、その度合いも含め、

外部から判断する分には難しく、

また判断するまでもなく、中立的な人間の

視点からすれば、厄介な代物です。

少なくとも、「あまりにも政治的な人」とは、

私はできるなら、付き合いたくはありません。

たとえ、「政治的な嘘」をついてる確証が

なくても、いつでも、「政治的な嘘」が、

まことしやかに説かれるやもしれませんし、

そして、残念ながら政治には、感情的な

価値判断が付き物です。

サイバー空間で残される、さまざまな

「政治的な言説や表現」が、ヘイトと

縁の切れないのは、ご存じと思います。

現在もなお、日本皇室の方たちを、私たち

日本人の多くが敬う理由の一つは、政治的な言説に

まつわりがちな、下品さと距離を置いた所に、

皇族方の多くが在られるからではありませんか?

こうなると日常生活から可能なかぎり、政治的なる

ものを、排除したいくらいではありませんか!

しかし、その上で、「政治を為す者」即ち

「為政者」について、読者の方たちへと、

私は問い掛けます。

「権力者」という、マイナスの価値判断の

バイアスもかかりがちな単語で表現もされる

彼らが、もし私たちの世界から姿を消したら、

他ならぬ「私たち」が、困るのではありませんか?


(※記事名リンクを含む、コピペ要)
ブログの表題に付けている「反歴史」とは、

決して「歴史からの逃走」ではなく、

いわば「民衆の役に立つ歴史」を認識する

営みなのです。

ならば「民衆」とは、私自らが提起した

「人間集団を分類する便宜に用いられるフィクション」

でしかないのか、との反問に関しては、

次回の「反政治の必要性とは」の記事で、

対応したいと思います。


 かくなる「民衆」こそ、即ち「私たち」そのもの。

前回の記事(2019年5月11日投稿)の末尾で私が

言及した「民衆」という概念こそ、たんなる

「人間集団を分類する便宜に用いられるフィクション」

の枠を越えた、「私たち」の切実な存在証明なのです。

 「私たち」民衆の一人一人に代り、決定を下す

とぃう責任を果たし、結果についての功績なり

責任なりを担う人が、為政者でなくてはなりません。

その裏腹の真実として、異論をはさむ余地など無しに、

国家の命運に関わる決定を下しえる立場とは言えない、

「私たち」民衆の一人一人は、民主主義の世の中だろうと、

なかろうと、政治的に無力という前提も、どうか切実に

認識してください。

あなたや私の「たかが一票」で、どだい、政治が動く

訳など、ありえないではありませんか!!


 よって、政治への無関心を問題視して、

自身と同じく民衆に属する人を批判するのは

不当である、と私は考えます。

なぜなら、本人の自覚に委ねられるべき

「道義的責任」と明確に区別されるべき、

「政治的に無力とは言えない」為政者たちの負う

「政治的責任」の所在や、残念ながら日本でも

まかり通る「そのゴマカシ」を意識すれば、

「民衆の民衆たる所以」を忘れたものであり、

自らの本分に、反しているからです。

人類共通の概念として、責任能力を認められた、

「大人の世界」と、それを認められないような

「乳幼児の世界」の違いを念頭に置いてください。

いかなる人格者といえども、当人が為政者である

限りは、政治的責任を民衆から追及される可能性を

排除してはなりません。

為政者たちの統治行為としての「政治」が、

責任の発生を伴うものと解される正当性に、

異論の余地が認められましょうか?

この冷厳なる事実から目を背けた「未熟な政治意識」

こそ、当人の尊敬の対象に据えられた「ご主人」が

誰であれ、「独立した人格を持つ人間」としての

尊厳を自ら否定する意味での「自虐」に他なりません。

以下に摘録した事例をご参照ください。 



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堀田善衞『方丈記私記』ちくま文庫、筑摩書房、1988年
:太平洋戦争の最中、1945年3月10日の
 東京大空襲で被災した、後富岡八幡宮の
 焼け跡を、終戦の前に、昭和天皇が親しく
 視察に訪れました。

p59
小豆色の、ぴかぴかと、上天気な朝日の光りを

浴びて光る車のなかから、軍服に磨きたてられた

長靴をはいた天皇が下りて来た。大きな勲章まで

つけていた。<後略>

p60
私は方々に穴のあいたコンクリート塀の蔭に

しゃがんでいたのだが、これらの人々は

本当に土下座をして、涙を流しながら、

陛下、私たちの努力が足りませんでしたので、

むざむざと焼いてしまいました。まことに

申訳ない次第でございます。生命をささげまして、

といったことを、口々に小声で呟いていたのだ。

私は本当におどろいてしまった。<後略>

p61
<前略>責任は、原因を作った方にはなくて、

結果を、つまりは焼かれてしまい、身内の

多くを殺されてしまった者の方にある<後略>



 読者のあなたは、おどろかれましたか?

どこまで正確に聞き取れたかは別として、

自身が被害者でありながら、なぜか自らの責任を

痛感する姿に、人間性の美しさ、奥ゆかしさを

感じ取れるでしょうか。 

たとえば現在でも、北朝鮮から逃亡した

「脱北者」が、なぜか「○○様」を裏切った

自責の念にかられたとするならば(独裁者と

個人的な関係を取り結んでもいない例です)

これを以ってして「自虐」と称する言動を

はばかる、正当な理由はありえません。

独裁者の方は気にも留めてない、留める余地も

ないのに、最悪の片思いであると断言いたします。

忠誠心の向けられる先が「○○陛下」であれ、

「○○さま」であれ、「○主席」であれ、

その他なんであれ、刺激的な表現を採れば、

責任の所在を間違えるのは、個人崇拝などの

非合理の感情に由来する思考停止の産物

としての「奴隷根性」に他なりません。

もちろん、崇拝対象の人間性の優劣は、

決して無視されてはならないものの、

当人が「人格者」であろうとなかろうと、

「奴隷根性」には代わりはないのです。

昭和天皇の「お人柄」や「平和主義」は、

確かに同じ東アジアの為政者であった、

中国の毛沢東や北朝鮮の金日成との

比較に際して、有用な事実ではありますが、

後の両者と違い、あらゆる意味で「独裁者」

との非難を受ける人物ではありえなかった、

にせよ、とどのつまり「個人崇拝の対象と

された為政者」という同じ立ち位置から、

我々は目を反らしてはなりません。



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「バンザイ!」「ワンスイ!」「マンセー!」。

東アジアにこだます思考停止を時に誘う

叫び声は、漢字表記では同じなのです。




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あなたにとって、それがもし困難であれば、

たとえば1994年から1996年にかけ、

自民党や新党さきがけと連立政権を

組んだ、今は無き「日本社会党」の委員長、

そして昭和天皇と同様、良き「お人柄」と

「平和主義」の印象とを背負った村山富市

・元首相の評価とをつなぎ合わせてみれば、

より容易になるやもしれません。



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p61 
<前略>実は私自身の内部においても、

天皇に生命のすべてをささげて生きる、

その頃のことばでのいわゆる大義に

生きることの、戦慄をともなった、

ある種のさわやかさというものもまた、

同じく私自身の肉体のなかにあった<後略>


 戦後に著名な作家となった堀田氏は、

一方的に上から目線で「奴隷根性」に

囚われた民衆を批判していません。

なればこそ堀田氏の主張は、痛烈な

自己批判をも兼ねているのでしょう。

責任の所在を取り違えるほどの忠誠心は、

やはり「奴隷根性」にふさわしいとの思いを

禁じえません。



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大杉一雄『日中戦争への道――満蒙華北問題と
衝突への分岐点』講談社文庫、2007年
:本書は、一九九六年に、中央公論新社より
 刊行された『日中十五年戦争史』を改題し、
 文庫化したものです。

p391
<前略>天皇の拒否権については戦後誤った

解釈がなされ、拒否権をもたないという見解が

通説となっているが、当時の憲法学説は、

いわゆる美濃部達吉の天皇機関説を含めて、

すべて天皇の拒否権を認めている。<後略>


 拒否権とは、これを言い換えれば、開戦も

含めた国策決定の最終段階(法案も予算案も)で、

御名御璽(ぎょめいぎょじ、サインと捺印)を、

拒否する権利となります。

戦前戦時中において流通していた憲法学説では、

すなわち当時の憲法学者による学説の全てが、

在野の現代史研究者、大川氏の、ご指摘の

通りでした。

そして、戦後の新憲法の規定では、下記の

ごとく、誤解の余地はありえません。



日本国憲法第4条第1項

 天皇は、この憲法の定める国事に関する

行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。



 また、太平洋戦争につき、「開戦を望んでいた

国民」なる存在を想定して、責任の一部か全てを

負わせようとする言説が、今も見られます。

民衆の誰も拒否権を行使しえない史実に鑑み、

あえて手ひどく表現すれば、「愚劣」か「卑劣」、

いずれかの非難は、免れません。

さらに言及すれば、明治天皇が死去した後で、

「明治大帝」という表現が広まったのも、

「日清戦争と日露戦争の輝かしい勝利」と

深く結びついたものであり、かくあらば、

勝てば称えられる昭和天皇の功績、

負ければ負わされる臣下か国民の責任、

という恐るべき不平等、不条理を背景に、

「勝てば昭和大帝、負けても昭和大帝」

なるキャッチフレーズも成立しえます

(古川隆久「昭和天皇の戦争責任問題について」

『史叢』79号、2008年、から示唆を

得ました)。


国家中枢で秘密決定された、この大変重要な

国策決定につき、日本の民衆の誰であれ、

代わりに責任を負うような自虐的発想を、

人間の尊厳の名にかけて、私は否定します。

そのうえで、次のような主張にまで、お目を

通していただければ、幸いとする所です。



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古川隆久『昭和天皇』中公新書、2011年

p279
 以上、史料の示すところでは、昭和天皇本人の

敗戦直後の「開戦の際東条内閣の決定を私が裁可

したのは立憲政治下に於る立憲君主としてやむを

得ぬこと」(『独白録』(『昭和天皇独白録』の略:

私注))という回想とは異なり、昭和天皇は、

首相経験者の意見のみならず、従来は参考に

しなかった皇族の私的意見まで検討対象と

した上で、この段階において、日本国家が多大の

国費と人的犠牲を投じて積み重ねてきた誤りを

成功に転化するためには、開戦しかないと判断

したのである。



 歴史学者の古川氏は、皇室へのタブー意識

から距離を置き、かつ思想を史実に優先させない

歴史学者として、私がお勧めしたい方です。

さて、東京大空襲の話に戻り、この惨事を、

米国の戦争犯罪という枠組みで捉えるのは、

十分すぎるほど、合理的と考えられますが、

堀田氏の問題提起に応じ、昭和天皇との

関係性について、判断してみるとします。

責任の主体と相手方(客体)とを設定するに

あたり、平たく言えば、誰が誰に対して、

責任を負うかを考えてみるにあたり、

そもそも責任が発生しないという立場も、

そして主体と相手方を同一視する立場も

論理的に想定しえるので、

以下に四択の選択肢を挙げてみましょう。

 ①被災民が責任を負う 

 ②天皇が責任を負う 

 ③責任それ自体が発生しない 

 ④被災民も天皇も責任を負う

選択肢の①こそが、私の批判してきた

「奴隷根性」に相当する事実は、

お分かりかと思います。

また③も④も、いずれにせよ、

「日本占領」という同年の内に、

実際に起きてしまった事態では、

「為政者としての天皇」の責任を、

免除する論旨ではありましょう。


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牧原憲夫『客分と国民のあいだ
――近代民衆の政治意識』吉川弘文館、1998年

p49
江戸期にひろく唱えられた「仁政は武家のつとめ、

年貢は百姓のつとめ」という対句<後略>


 江戸時代と引き比べて、政治にまつわる

民衆の思想的な水準が、戦時中の日本では

むしろ、退化してしまったとする思いを

私は抱いています。

戦国期に発生していた、民衆なりの権利義務

感覚を示した、池上裕子氏の研究を紹介する文脈で

(「戦国の村落」『岩波講座 日本通史』中世4)、

牧原氏は「百姓は本来「主」をもたぬ存在(p49)」

と表現しています。

お二人の歴史学者は、人権概念が無い時代にも

卑屈にならず、筋の通っていた、かつての

多くの日本人を見落とすことなく、かつ、

「日本人の誇り」を満たすための政治性と

無縁のまま、有用な仕事を成し遂げられた

のでしょう。



p57
 これらはいずれも江戸時代の代表的な

寺子屋教本のごく一部分の抜粋である。<後略>


p59
が、被支配身分を教化する書のなかで、

治者の責務を明示し、悪政の具体的イメージを

描きだし、民の不服従を正当化する論理を

提供しているのだ。近代の教科書より

はるかに“民主的”である。<後略>


 詳しくは、同書にて。

「民衆と称しうる存在」に関して、

有用な歴史認識ともども、深い示唆を

与えてくれる名著は、参政権を持たない

ものの、為政者に不合理な感情移入を

しなかった、「客分」 の立場の人々が、

決して「奴隷」ではなかった史実を、

教えてくれました。

さらに、明治という日本の「近代」の

始まりから、新しく付け加わった

民衆思想の全てが、歓迎に価するもの

ではなく、それでも、現在に至るまで

「客分」の心情は、民衆の間に根強く

残り続けていることをも。

 本論の締めくくりに、一文を草します。

ブログの表題に付けている「反政治」とは、

決して「政治からの逃走」ではなく、

いわば「民衆の役に立つ政治」の実現を目指す

営みなのです。

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